代表はメーカーでデザインや商品企画を担当し欧州に駐在していました。人生観・代表としての考えをご紹介します。
・代表の経歴
1956年東京生まれ。当時は高度成長真っ只中で、1964年の東京オリンピックは流行りのソニーのポータブルモノクロテレビで観ていました。マンションラッシュで中野コーポブロードウェイという四階まで商店街、その上の6階が分譲アパートで屋上には庭園やプールのある外国の様なマンションに住んでいました。 ブロードウェイに移るまでは、青梅街道から少し入った植物学者が住んでいた二階建ての屋敷に住んでいましたが、その庭には多様な果樹などが植えられていて、色々な鳥や虫と親しんだ事は私の原体験の一つです。 母が庭で着物の型染めや梅干しを干したりしていた風景も懐かしい思い出です。 母はよく私を都内の美術館や展覧会に連れて行ってくれたので、そういう所は今でも大好きです。
父の転勤で中学から関西に移りました。 ちょうどその頃、大阪万博が開催され世界を垣間見た気がしました。 陸上部中距離で近畿大会、高校時代はラグビーで全国大会に出場しました。 大学ではデザインを専攻し版画家の教授に師事しました。 メーカーの商品企画として欧州に派遣され6年間欧州生活を送った事で物の見方が少し変わった様に思います。
ハンブルクというドイツの北の港町に住んでいましたが、緯度が高い為に夏は夜10時まで昼のような明るさで、会社を5時に終えた社員の多くが、ゴルフやヨットなどのスポーツや散歩など、半日をのんびりと過ごしていた事には驚きました。 豊かさとかいう言葉が日本で盛んに論議されていたのもその頃だったと思いますが、まさに生活をエンジョイしている国民の多い国でした。
仕事も遊びも全力で取り組むから両方面白くなるという事を6年間の欧州生活で体験しました。 仕事はいつも面白かった訳ではなく、往往にして言葉や生活習慣の違いからハードルの高い仕事も多かったのですが、それでも仕事をエンジョイ出来た結果、今でも友達づきあいをしてくれている仕事仲間がいます。
・アイ・ファーム設立の経緯と方針
子供の頃から生き物大好きで庭や家の中には山や海で採って来た生き物で一杯でした。 また、物を作る事も好きで鉱石ラジオや模型を作っては壊し作っては壊しで部屋に一日中こもって居ました。 そして社会人になってメーカーでモノ作りの中心に居た経験から、自分で何かを作っていく事をライフワークとして取り組む事にしました。 同時にその作る事が世の中の為になる事であるという事も条件でした。 イギリスの友人との交流で、人のためになる事を目的とした事業をし、社会を良くする事に還元する事が、結局自分自身を成長させるという彼の人生観に共鳴し、帰国後実行に移したのがアイ・ファームの出発点です。 最初は貸し農園の管理人からスタートし、その後農地を借りて有機農法で野菜づくり、そして淡路島の自然農の農家さんと出会い、2018年にその農地を譲り受けアイ・ファームをスタートしました。
アイ・ファームの基本は有機的な生活(デジタルに割り切らない損得よりも倫理的なお付き合いを大切にする)による社会貢献です。 使われなくなった農地を借りたり譲り受けたりして、有機野菜や果物を生産・加工・販売して地域の雇用と活性化を図ります。 コアの部分はアイ・ファームが担いますが、全てを自社でこなす事は無理なので、得意分野のある他社と提携してアイ・ファームグループとして国境を越えて、日本は淡路島、米国はハワイ島(予定地ワイメア近郊)、イタリアはシチリア島(予定地タオルミナ近郊)の農場から有機的な生活をお届けして参ります。
仕事を遊び、遊びから仕事が生まれ、仕事から遊びが生まれる。 そういう共同体の風土創りを目指し、地域から街、街から都市、都市から国自体を変えるような大きな波動を生んで行きたいと思います。